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先日、デザイナーの川崎和男先生と対談させて戴きました。
初対面でこんなに斟酌なしにオフレコのお話まで出来て、時の経つのも忘れるくらい、楽しかったです。 28歳の時の交通事故で車椅子の生活になられて、自分が本当に乗りたい車椅子をデザインしようと思いたって、それを成し、心臓の手術をうけたら、自分の体の中でこうあってほしいと思うペースメーカーをデザインし…… 私はお話を聞き乍ら、突然 宇野千代先生を思い出して、26年前の作品「おはん」の話をして了いました。 「人の幸福、不幸は全て、その人の心の在り様次第なのですよ」と言われた宇野先生がこの方のお話を聞かれたら、あの眼をキラキラ輝かせてどんなにか喜ばれただろうと思い、その上、川崎先生がハンサムであることも宇野先生を喜ばせる要因になるだろうと思いつつ……。 「外側をデザインするのではなくて、まづその機能から考えて、そして人の心にどうあるべきかと内側からデザインをうみ出してゆく…」 こんな風に川崎先生は言われました。全く別な仕事と思いこんでいたのに、自分の仕事と同じであることを知って、現在創作中の「十牛図」のお話をして、11月10日の公演を是非みて下さいと言いました。 奥様は中原淳一の画のような方で、恋人同士のような御夫婦でした。 # by senrei-nishikawa | 2010-06-25 19:29
今朝は、山荘で目覚めてCafe「Mt. West」の指定席で珈琲を飲んでいます。
可愛い娘さんがひとりで、ちょっとクッキーを焼いたりしてやっていて、営業時間は10:30~5:00。 ソファーの良い席にいつもお父さんが座っています。 脳内出血で半身不随になったお父さんの気分転換に・・・と、以前の喫茶「R162」がクローズして空き家になっていたものを借り受けて、彼女がペンキを塗り、椅子のカバーをつくり、リメイクして昨年の8月にオープン。珈琲は深煎でとても美味しく気に入っていて、時折訪れるお客とお父さんの対話、お店の細々としたことを楽しんでしている彼女の様子は、私を幸せな気分にしてくれます。 普通、仕事は利益がなければならないと考えるのでしょうけれど、彼女の仕事の利益は、お父さんと自分自身が日々を快く、よりよく過ごせることなのですねぇ。 私は2杯の珈琲で半日過ごすこともあり、彼女がお父さんを送迎するときはお店にひとり。 野菜やお米をわけてもらったり、山荘生活の一部分となっています。 急がない人、のんびり過ごしたい人、どうぞCafe「Mt. West」へ。 ![]() # by senrei-nishikawa | 2010-05-01 10:46
![]() 舞台図の構想です。 何故こうなのか と尋ねられても、今はまだよく分らなくて答えられません。上演する頃には、こうだから・・・と書けるかもしれません。 音楽については、笛、打楽器、声明、常磐津三味線、琴、ヴァイオリン、各々の皆さんに、日程と、この作品を創りたいと伝えているのみです。参考までに・・・と私の為に録音して下さったテープが手元にありますが、現在は五里霧中。 進展は、衣裳が定まり、5月4日に写真撮影を決めて、昨日床山(かづら屋さん)へ行きました。「十牛図」を見せて、美しいことを目的にしないで、男でもなく女でもなくやりたい、と伝え、ユニークな面白い髪型のかづらを2つ結い上げてもらいました。 衣裳は小林衣裳の小椋守彦さん、床山はかづら倖の中島孝治さん、いつものこと乍ら感謝してます。 今日から山荘滞在、京都を出発します。 # by senrei-nishikawa | 2010-04-29 10:27
突然ですが、今秋11月10日(水)アルティで上演予定の「十牛図」のことを書きます。
1997年4月京都の思文閣美術館での「鈴木大拙没三十年記念展」で出遭いました。それより以前に漠然と知ってはいたのですが、「出遭った」という感じがしたのはこの時。 ふり返ると河合先生の「明恵 夢を生きる」を作品化して「本来の自分」への意識を強く持ち出した時期だったゆえだと思います。 「十牛図」は中国北宋の末、12世紀にはじまり、日本では室町時代に広まった禅の小テキストなのですが、上田閑照先生が「十牛図―自己の現象学」と書いていられるように、まさに「本来の自己」への道程で、いつか作品にできたらと思うようになりました。 作品化して舞うことによって、本当に識る作用というものをこれまでに経験していて、出遭った大事なものを深く識り得るには、作品にすることが私にとって一番の方法なのです。河合先生の「阿留辺幾夜宇和(あるべきようは)」も宮澤賢治「よだかの星」、ずーっと昔の「雪女」も、上演前に思い込んでいたことが全く違う展開をして戸惑ったり、不思議に思ったりしましたが、多分深いところで私の内で識っていたことが表出してくるのだなあ、と、この頃になって気付いてきました。自分で自分自身へのこんな働きかけを得られる仕事は、仕事冥利につきますねぇ。 ![]() さて、そんな訳でいつか十牛図を・・・と思いましたのに、なかなか出来ず年月が経っていました。 2009年1月。真赤な牛の絵・十牛図・MAYA MAXXの看板に「あっ」と思って何必館・京都現代美術館に入りました。 「見跡」には「はしごを昇るカウボーイ」が画かれていて、その大らかな取り組みに、眼からウロコが落ちる思いがしました。 そして思ふたのです。「十牛図」を日本舞踊の題材にするなどということを他の人が不遜なことと思いはせぬか、と恐れる心、何か立派なもの、崇高なものにせねばならないと思う心が、これまで出来なかった理由だ。MAYA MAXXさんのように素直に、今の自分のありのままで創れば出来るのだと。 こんな次第で、現在決まっているのは低く細長い舞台と高い大きな舞台という舞台装置図。そして何人かの演奏の方々。 また、折々書きます。 # by senrei-nishikawa | 2010-04-08 22:37
ちょっと遡って「河合隼雄先生へ」公演(2008年7月19日20日)のこと。
どんな風に書いても何か憚られるような心持になりますが、ブログは気楽に・・・気楽に・・・と自分で励まして書いてみます。 これまでの公演と全く違うのは、これを作品化したいといふのではなく、これを創って舞って了わねば私は次へ進めない状態だったことです。 2006年8月17日に倒れられ、2007年7月19日に先生は逝かれました。折からその前年に逝かれた「鶴見和子先生へ」(2007年7月31日)を12日後にひかえていた時で、悲しみというふより胸に大きな空洞が出来て、そして重い塊がある、そんな心持でした。 「鶴見和子先生へ」公演のことも追々書きますが、この公演を終えて鬱々と日がたっていた時、レコード店十字屋のレジのカウンターでふと目に止まった京都新聞の記事コピー「天台声明とグレゴリオ聖歌・・・」試聴した瞬間に「これで河合先生への作品が出来る」と思い、舞台装置・衣裳、一景・二系・三景の構想がするすると浮かび、2008年7月19日の御命日に公演することを決意したのです。![]() 多くの人がそうであるように 私も自分が生きてきて存在している意味を知りたく思ふている時 「明恵 夢を生きる」に出遭いました 創作舞踊「阿留辺幾夜宇和」初演が1992年 そして1994年東京公演 2003年スイス・チューリヒ、ドイツ・ダルムシュタット 河合先生の希って下さったイタリア・アッシジ 聖フランチェスコ教会大聖堂での上演 上演の度に作品の純度は高まり 作品化して舞う行為によってその思想は私の無意識下のものとなり 私自身のものとなっていくことを知りました このような形で このような仕事をさせて戴けることを幸せに思います そしてこの度の公演は 同じ思いの方々に 見守って戴きたく願って居ります (案内状) ![]() この公演では、古典曲 地唄「残月」と先述の創作「To Dr. Hayao Kawai」の2演目を舞い、私自身はもう暑さなど何も感じない状態だったのですが、河合先生を通じて御縁のあった門川市長と瀬戸内先生が終演後、河合先生の思い出などを対談して下さり、「それにしても暑いですねぇ・・・」に会場の皆さんが同意のほっとされた空気が、舞台裏にいた私にも伝わりました。あらためて、皆さん暑い中を山の中まで来て下さったことに気付いて、嬉しかったです。 私の思い願った通り、同じ思いの方々に見守られて公演を終えることが出来て幸せに思いました。 いづれ 上演作品 地唄「残月」 創作「To Dr. Hayao Kawai」について書きます。 ![]() # by senrei-nishikawa | 2010-03-21 18:08
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